CALM

伊袂つうの個人日記。

後回しのツケ

私は基本事なかれ主義で、上司に異論があっても滅多に訴えたりしないんですが、先日あまりに耐えかね、多分十数年ぶりくらいのタイミングで大声での抗議をしました。

詳細は伏せますが、普段から自分の意見を外に出さないTHE☆YESマンで働く身がいかにこういった状況に弱いか、心底思い知りました。声のボリュームも考えられず、意見を言いたいだけなのに出てくるのは涙だけ、声は震えて内容はしどろもどろ…。
肝心なときにちゃんとできない。とても悔しい思いをしました。

「耐えること」が正しいと、ずっと思ってきました。
自分を優先しない、相手を怒らせないように言葉を飲み込む、事なかれ主義でいることで場を安定させる。ある程度の腑に落ちない出来事も黙って吸収して溜めていく。

でも、それって本当に正しかったのか。耐えた先に何か有益なものが生まれたか。あいつには何を言っても大丈夫だと思われただけ、ということはなかったのか。「ちゃんと意見をいう」ことから逃げてきたことで、上司にちゃんとした対応を取れず、大きい声を上げ、涙を流し、伝わらない言葉を紡ぐしかなかったんじゃないのか。

今思えば、上司にも悪いことをしました。
私にとって理不尽なその発言は今に始まったことではなく、前々からあったものです。その都度、私がちゃんと自分の意見を言っていれば、そういった対応が私にとって納得のいくものではないことを知ることが出来たはずでした。
上司にしてみると「いつもと同じことを言っているだけなのに、急に大きい声を出して抗議し始めた」という唐突さしか残らないと思います。

ここでこんなことを言ったらなんて思われるだろう、また更に面倒なことになるかもしれない、いつかこの理不尽は終わるかもしれない、今は黙って我慢しよう…。
そうやって後回しにしたツケが、自分の意見もロクにいえず震えて泣くだけの私になってしまっていることに、改めて気付かされた次第です。

自分本位が良いというわけではないし、思ったことをズケズケということが素晴らしいというつもりもないのですが、これ以上言うべきときに言えない自分にだけはなりたくないので、「伝える」ということに逃げずに取り組んでいこうと思いました。