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伊袂つうの個人日記。

昆布好きの原点を思い出しました。

極個人的な感傷文です。訃報なども含まれます。PC版は畳みます。
スマホ版の方で苦手ば方は、すみません、このまま一覧へお戻りください。

 

実は8/30に祖母が急逝しまして、本日9/5にやっと自宅に戻ってきました。
祖母の家は北海道函館の南茅部というところにありまして、高級昆布と言われる「真昆布」のなかでも、最上ランクである白口浜真昆布が採れる名産地です。
南茅部エリアの漁師は年に一ヶ月足らずの短い間に昆布漁をし、各家庭で加工・梱包を行い出荷をします。この期間の収入は南茅部の漁師にとってとても大きく、また大事なものです。

私の祖父も、何十年も昆布漁をしていました。
昆布漁を行う家は家族総出で作業に当たり、私は一緒に船に乗って、一枚でも多く小さな船に昆布を載せてこれるように船の上で長い昆布を整頓する(界隈では「頭そろえ」という役割)作業をしていました。
朝早く4時過ぎには起きて5時には船に乗り、大体9時くらいまでの3~4時間、船の上で作業しっぱなしです。兄弟が私の下に2人もいるのに、船酔いに強いというだけで15才から祖父が亡くなる19まで毎年その役を担っていました。毎年いやでいやで仕方がなかったのを良く覚えています(笑)。

祖父が亡くなって今年で16年。あれから何処の船にも手伝いに乗らず、昆布漁に携わることもなくなりました。ただ、祖母が変わらず南茅部で一人暮らしをしていたので、たまに行っては「昆布の里」のつながりを感じていたのです。

祖母の葬儀関係が全て終わり、もう南茅部に足を運ぶのはお盆と彼岸くらいだろうなと思ったら、急に昆布の里との距離を感じてしまって、ちょっと寂しくなりました。

昆布漁で船に乗っていた頃の自分のことや、当時昆布だしよりかつお出汁が好きだったことや(こんぶだしの料理を日常的に食べ過ぎてやや嫌いな傾向にありました・笑)、イヤイヤ作業しているのがバレて怒られて逆切れしたことや、とにかく沢山、昆布にまつわる思い出があります。

昆布って、なかなか食卓の中心にはならない食品だと思います。出汁になってしまえば形にも見えないし、一般受けするのはかつお出汁ですし…ね。
でも、私は確かにその高級昆布を何処かの食卓に届けるために頑張っていて、それは祖父も祖母も一緒で、そんな風に過ごしていたからこそ、今こんなに昆布が好きで、漫画を描いているんだなぁとしみじみ感じたりしました。ちょっと泣けました。

現在、南茅部も例外なく高齢化して昆布漁が出来る漁師も徐々に減っているようです。収穫量も漁の期間も短くなって、このままだと先細って行くだけなのかもしれません。献上昆布と名乗った、高級と冠の付く昆布が無くなって欲しくないなと思っています。

今は漠然と、祖母の冥福と献上昆布の行く末が多幸であることを祈りたいです…。