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CALM

伊袂つうの創作個人日記。昆布擬人化「だし★メン」は現在復活準備中です。

ポツネン氏の奇妙で平凡な日常、観覧しました!

久々のブログなのですが、だし★メンとは全く関係ない、小林賢太郎さんのソロプロジェクトpotsunen(ポツネン)」札幌公演の観劇感想など思ったことを書きます。
個人的には凄く良い経験をしたし、誰かに伝えたい。観劇の折に触れて、思うこともありました。ネタバレはないのですが、ちょっと感傷的な部分も含まれているので、PC版は畳みます。
スマホ版の方でご興味ない方は、すみません、このまま一覧へお戻りください。

 

好きな人は凄く好きな、小林賢太郎さん(以下賢太郎さん)。
残念ながらここ数年は、所属しているコントグループ・ラーメンズとしての本公演はされていないのですが、賢太郎さん個人としての活動は多岐に渡り、現在では海外でもソロプロジェクト「potsunen(ポツネン)」の公演を行っています。主軸は「誰も傷つかない笑い」を、言葉を越えた共通の「なにか」で、ガンガンこころ(と口元と腹筋)を揺さぶってくるスタイルです。

元々私はラーメンズが好きで、その「計算され完成度の高い脚本を元に繰り広げられる、コントと演劇のハイブリット」のような雰囲気が大好きで、ほぼすべての制作を担当しているのが賢太郎さんだと知ってから、クリエイターとして強く憧れるようになりました。
毎回ツアーがあるたび札幌には来てくれていたようなのですが、ずっと機会がなくて、私の中で「小林賢太郎」はまるで二次元のキャラクターのようでした。見るのはいつも画面の向こう側。本当に存在するのかすら怪しいくらいの。

それが、今回チャンスに恵まれて「ポツネン氏の奇妙で平凡な日常」の公演を観覧することができました。内容はまだツアー途中ということで言及を避けたいのですが、生まれて初めて舞台というものを自分の意思でお金を払って見た私にとっては、本当に何から何まで新鮮で素晴らしく、劇場内は寒いくらい冷房が効いていたのに、賢太郎さんから発せられる熱や湿り気までを感じるような「ナマ」の空気が迫って来ていました。

当日は満員、年齢層も幅広い。私の座席は幸運なことに前から4列目。正面ではないにしろ、舞台までは3メートルあるかないかでした。おかげさまで目が悪い私でも、賢太郎さんの表情がくるくる変わる様子をしっかり見ることが出来ました。先に少し話したとおり、海外公演を意識されてか意味のある言葉の羅列は殆どないので、観覧には目から得られる情報が重要です。加えて賢太郎さんのパフォーマーとしてのスキルは相当高い。例えば目の動きひとつで喜怒哀楽が分かる繊細な表現が可能なのです。だから表情が見られないと、内容を理解して楽しむには物足りないかもしれません。席が遠いときは視力対策を万全にされて観覧されるか、ベストなアングルとカットで編集されたDVDの購入も検討されたほうがいいかもしれません。
私もDVD出たら買います! ちゃんと顔見えましたけど…!

公演時間は終演挨拶も含めて約2時間。開始からあっという間でした。今まで何度もDVDで見ていたポツネンの雰囲気そのまま、ご存じない方に強いて説明しようとすると「夢を見ているような脈絡のなさ」が今回も発揮されていました。
ポツネン観覧に関しては「え?なんで?」というのは余り意味がありません。元々賢太郎さんが「僕の頭の中にあるものを表現した」と話しているのですが、ある程度の話の主軸はあっても、公演内で繰り広げられる殆どのパフォーマンスには説明がつけられないのです。彼の持つ全ての道具(能力)を使って、今できることを出来る限り表現する。飛んだり跳ねたり体を叩いて音を出したり。物語を堪能するタイプの舞台を見たい人にはチャンネルが合わないだろうし、面白いとも感じないかもしれません。ここがきっと「小林賢太郎のソロプロジェクトが好きな人」とそうではない人の境目なのだとも思うのです。

終演後の挨拶で、賢太郎さんはこんなことを言っていました。
「僕にはこれっぱかしの信じていることがあって、それは、僕の作ったものが本当に面白いものなら、鼻が効く人がかぎつけてくれると思っているんです」
そう、メディアへの積極露出をしない理由をヤンワリと教えてくれました。それは決して強く自信のある感じではなくて、まるでささやかな信念の呟きのようでもありました。最後の最後、賢太郎さんへの止まない拍手にわざわざ再度舞台へ出てきてくれたとき「僕に気がついてくれてありがとうございました!」と話すお姿に何だか涙が出てきました。

「面白い」の基準ってとても曖昧だなぁと思うのです。
私は、賢太郎さんが好きです。彼の考え方が大好きです。だから、彼の生み出すものも同時に好きになります。作品が面白いと感じます。でも彼の人柄をなしにしては、作品を愛せない気もしているのです。賢太郎さんのファンの中には、おそらく私のような考え方の人も多いのではないかなと思っています。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。ちょうどその逆のような。でもそれが「賢太郎さんが求めている面白さに対しての正しいリアクション」になるのかと言えば、そうではないかもしれません。
でも、好きだ。この好きだという気持ちを持って、劇場に足を運んで、余裕があればグッズを買って、後に販売されるであろうDVDも購入する。それが彼のいう「鼻が効く人にかぎつけてもらった」に繋がるのだろうと思うし、それでまたご盛栄されるのであれば他に言うこともなし!
賢太郎さんが「ポツネンを見てきたって言ったら(知名度のなさに)君らがぽつねんとするぜ」と仰ってましたが、ぽつねん上等です。好きなものを好きだと言って、一人で楽しむだけの気概はあるほうなので(笑)!

そして。この折に少々逸れはするのですが、私が主催する「北海道コミティアの読書会」で経験したお話を一つ。

初回は開催日の2週間前くらいに展示見本誌を届けてもらいました。おかげさまでたっぷり堪能できたのですが、そこで分かったことがあったんです。
「今までの基準(感覚)で読んだらダメだ」
普段、コミティア等の創作イベントに参加しない一般の人が一番身近にある作品って商業誌だと思うのですが、あれらは「商業」と名の付くだけあって、お金になるように、より多くの人たちに読んで(買って)もらうことが目的で、編集さんというプロが作家さんと読者の間に入って「均す」作業が入っているんです。
起承転結のあるドラマティックな展開を可能とするページ割や、極度に狂わないデッサンやパースがあって、読み手がすぐ作品に入り込めるような親切なつくりになっています。例えるなら、絶妙な焼加減で仕上がったビーフステーキのようなものです。
読み手としてだけで話をさせていただくと(←ここ重要です。残念ではありますがサークルとして物申せるほど私には諸所の実力はないのです…)、コミティアサークル(非プロ)さんの殆どは、私を含め「描きたい(書きたい)ものをしたいように」表現している人が圧倒的です。商業誌と同じ感覚で読むと、不親切すぎることもしばしばあります。先に話した商業誌が絶妙焼加減のステーキなら、アマチュア見本誌は生肉だったり何の肉かも分からない、消化に時間が掛かるものが非常に多いのです。
でも、それがアマチュア誌のいい所なのだと読んでいくうちに思うようになりました。自由に、何の規制もなく、作家から出た純度100%の作品である。意図しないテコ入れをされていない、作家が本当に描きたい(書きたい)本。これはこれでとても魅力のあるものであると感じたのです。

何を面白いと感じるかは読み手が決めます。一度読んで分からなくても、その本を生み出すにあたって作家さんが真摯に向き合ったものなら、何度でも読み返すと思います。作家さんに魅力を感じれば、他の著書も読みたくなります。
生肉だろうが何の肉だろうが、美味しく食べるために自分で焼いたっていい。

私も創作をする者の端くれとして、今回賢太郎さんの舞台を見ることができて、挨拶を聞けてよかったと思っています。誰にも頼まれていない、ただ描いて楽しくて、ほんの少しでも笑ったりして欲しくて描いている漫画ですが、続けることに一つの意味を見出した気がしました。大切なのは「自分の生み出すものを信じて、自信を持って誰かに差し出せるか」なのかもしれません。

作家さんは自信と自分の作品を愛する気持ちだけ持っててください。それはペンの先に必ず出ます。コピー本なら、折った紙の端に出ます。苦心して生んだ作品は必ず誰かの心を揺さぶると思っています。100人には無理でも、賢太郎さんのいう「鼻が効く人」に1人出会うことは不可能じゃないと思うのです。 

長々と書いてたら空が白んできました。

明日も仕事が詰まっております。暫くは賢太郎パワーで色々乗り越えて行けそうだし、この機会に色んなものを見て、吸収したいと思うようになりました。沢山蓄えて、次の新刊が豊かなものになればいいなと思っております!

ご期待ください(言っちゃった…)!

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